もう一つの独白

静かな朝…。

この日の朝の孤独は、かつて味わった喪失感に似ていた。

「ねぇあなた…あの子、行ってしまったわ…。」 うみねこ亭のカウンターの中で、リリィは調理台の上に置いてある、夫の写真に語りかけた。夫は、いつもと変わらない笑みを浮かべている。 「…そうね、私なんかがいちいち報告しなくても…。あの子は真っ先に、あなたにうち明けるでしょうから…。」 言葉が途切れると、圧迫感すら伴う静寂が辺りを支配する。 「私は母親失格ね、あの子に面と向かって言ってやれなかったわ…。一言『いってらっしゃい』って…。あなたの時と同じ…そしてあなたは…。」 急速にこみ上げてくる情感に堪えながら、リリィはいつも使っているお盆で軽く自分の頭を小突いた。 「しっかりなさい髑髏のリリィ!挫けてしまったら、笑われちゃうわよ!」

誰に…?

ほんの僅かな時間を共有した、あの人に。

あの人の心を受け継いだ、あの子に。

「…あの子が帰ってきたら、うんと叱ってやらなきゃね。無断で外出するなんて、夕飯抜きぐらいじゃ済まないんだから!」 そろそろ、朝の常連客がうみねこ亭にやってくる頃。リリィの退屈でもあり、忙しくもある一日が始まる。 「ねぇあなた…あの子は帰ってくるわよね。埃まみれの笑顔で『ただいま、母さん!』って…」 夫は、小さな額の中で相変わらず優しげな笑みを浮かべている。

あらためて見てみると、二人の赤毛の「冒険者」はよく似ている。

純粋で、無邪気で、屈託がなくて、向こう見ずで、それでいてその瞳は遙か遠くを見つめる光を宿していて…。何もかもが似ている。

だからこそ、言いしれぬ不安がリリィの中にはあった。彼女が愛した赤毛の冒険者は帰ってこなかった。

だから…。

「おはようございます、リリィさん!」 不意に沈黙が破られた。この日、最初の客が訪れたのだ。リリィの心が「日常」という現実に引き戻れさる。 「いらっしゃ…」

…カーァァァン…カーァァァン…

その時、開け放たれた扉の向こうから、微かな鐘の音が風に乗って届いた。どこか寂しげなその鐘は、渡航船が出港するときの合図。

いつもは何気なく聴いていたその音が、リリィの心を強烈に揺り動かした。急激に沸き上がる、ある衝動。

しかし、余りに急激過ぎたその衝動は、無意識の抑制を同時に呼び込んだ。

そして、押さえ込んだ衝動の断片が、リリィの頬を伝い落ちた…。

「え? リ、リリィさん?」 一瞬の忘我の後、リリィは自分の涙に気付いた。 「…あ、あらいやだ、玉ネギを切っていたから…ハハ。」

…カーァァァン…

最後の鐘の音が、パームの街の空に吸い込まれていった。

"うみねこ亭リリィ・本日のモーニング「ベーコントーストとオニオンスープ、サラダ付」"